イモリのすゝめ

機会と縁あって、趣味であるイモリの飼育についてブログに書き記すこととした。

初回とあって些か肩に力が入るが、きちんとした飼育方法やイモリの学術的知識などは
これだけ情報が飽和している世の中において、無名の個人が発信することにあまり意味がない。

したがって私が思うまま、触れたいことを触れたい順にただなんとなく語ってゆこうと思う。

1. イモリとはなにか

仮にこのブログがイヌを題材にしたものであったら、絶対に存在し得ない・しなくてよい序章。
イモリという存在の狂気を物語る最高にクールなパラグラフ。

今のところ“イモリ”ということばそのものを知らない人にはほとんどお会いしたことはないが、
イモリを正しく理解している人にもまた、同じくらいの確率でしかお会いできていない。

イモリとはそれほど曖昧に認識されている、“知っている”と“分かっている”の間に大きな隔たりのある
ポケモンばりの『ふしぎなふしぎな生きもの』なのである。

章立ての“なにか?”という問いに最低限答えるのであれば、「しっぽのある両生類です」くらいにしておくのが適当だろうか。

2. イモリとはなにでないのか

というよりはむしろ、生物学に明るくないため「しっぽのある両生類です」以上の答えができない。
冒頭に「学術的知識には触れない」などと、さも強キャラ感を煽っておきながら正確には「知らないので触れられない」のである。

さて、私が自分をやたら大きく見せがちであるという最高にクールな自己紹介を終えたところで
少ない知識と経験の中で、イモリが“なにでない”のかということを列挙し、弁別的に彼らの輪郭を捉えてみよう。

① “ヤモリ”でない

これはもう絶対である。

イモリを飼育するということは、世間のこの誤った認識を正す業(カルマと読む)を背負うのと、ほぼ同義である。

まぁ実際のところは面倒なので
「イモリってあれでしょう、窓に張り付いたりしてるトカゲ!」という反応に、
「あ、それヤモリですね!」と返すのみである。

ふしぎに思うのが、これと真逆のやり取りをヤモリ飼育者は生じているのだろうかということ。
「ヤモリってあれでしょう、山道の溜め桝に泳いでる、最高にクールなトカゲ!」
「あ、それイモリですね!」
となっているのだろうか。このあたり、来世でヤモリ飼育者になって確かめてみたい。

ちなみにヤモリも普通にかわいいと思う。

② “カエル”でない

『カエルで ないのヨ!!』

両生類という点でカエルもイモリも同じだが、しっぽの有無という点で違う生きものと考えられるようだ。
あとイモリは鳴かないし跳ばない。両者がそれなりに共通点を持つせいで、正直これ以上いうことが無い。

一般におたまじゃくしというとカエルの幼体を指すが、イモリの幼体も結構おたまじゃくしである。

③ “サンショウウオ”でない

これに関しては、「そうらしいです」としか言えない。たぶんそういうレベルの違い。

3. ペットとしてのイモリ

さて、内外からイモリの定義が済んだところで、ここからはペットとしてのイモリの魅力を掘り下げてゆきたいと思う。

① 鑑賞性が高い

いきなり物議をかもすテーマだが、ここは個人ブログ。「私がルール」とまでは言えないが、美的感覚の問う良し悪しの決定権はさすがに譲れない。

「トカゲとかカエルみたいな生きものはちょっと……」という意見もあってオッケー。
ただし、その自由と表裏一体の形で、この謎の生きものを「美しい」と評する声もまた、存在してよいのだ。

国内種のアカハライモリでいえば、春先から初夏にかけてみられる婚姻色などは形容しがたい独特の青紫が大変美しい。

同じく日本固有種のシリケンイモリなどは、朱と金の対照が恐ろしいまでにマッチしており、
空想的ではあるが、まるで神の作為的な意匠を感じさせるほどである。

海外種に目を向ければ、黄だの緑だの青だの鮮やかなること女児の文具の如し。

ましてや彼らを、こだわり抜いたレイアウトの中に放てば……これを鑑賞と言わずなんとする。

② ローコスト

労力的・経済的コストが極めて低い点も彼らの魅力として特筆すべき点だ。

我が家のイモリウムをご覧の客人からよく「マメですねぇ」とお褒めのことばをいただく。
しかし、私は断じてマメではなく、むしろかなりずぼらな方である。
訂正するのが面倒なので曖昧に返事をしていたが、この場を借りてはっきり申し上げたい。

「イモリが異常にローコストなんです」

種や成育の状況に依るため大雑把なことはあまり言えないが、
餌やりは週に1,2回でよし、陸棲種なら霧吹きと水入れの掃除、水棲種はたまの水替え、普段の世話といったらこれくらいである。

生きものの命に関することなので、それを軽んずるような言い方はするべきでないが、
一般的に我々が想像するペットという枠組みの中で、イモリは並外れて管理を要しないというのはれっきとした事実であるといえよう。

③ ほどよい距離感

あくまで主観で且つ、他のペットを否定する意図はないが、イヌやネコほど生きものとして近くない。
観賞魚と異なり物理的に触れ合うことはできるが、互いのため決して触れ合うべきではないという距離感は絶妙である。

上記のとおり、ただでさえ世話の機会も少ないため、胸を張って「イモリを飼ってます」と言ってよいのか正直迷うことさえある。
「なんかよく分かんないんですが、部屋の隅に居てもらってます」くらいのほうが表現として適切なのではなかろうか。

刺激の多い世の中に辟易しているそこのあなた
刺激の上塗りでご自身をメンテナンスなさっていては、遅かれ早かれ無理がくる。
ここはひとつ、味付けうすめのふしぎな同居人、イモリなんていかがでしょうか。

 

以上、最高にクールなプレゼンテーション、“イモリのすゝめ”。

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